昭和54年8月7日盛岡タイムス
39戸が床上浸水
五日未明からの大雨 市内に被害続出

 五日未明から降り始めた雨ほ六日朝まで断続的、局地的に降り続き、八月としては記録的な大雨となり各地で被寮が続出した。北東北地方は、停滞していた前線の活動が活発化したため、河川のはんらん、土砂崩れが各地で発生、市内でも五日午前九時から同十時までの一時間に二十三ミリを記録するなどの大雨となり、河川のはんらん、濯漑用水路の決壊があいついだ。
 

市が水防本部設置
 市でほ四十九年に水害対策事業として、災害時に市長を本部長とする水防本部設置機構を設けることにしたが、今回がその最初の設置となった。五日午後九時四十五分、都市河川課、建設課、道路課、市民生活課など約十七人が緊急会議を開いて、水防本部を設置し調査、対策事業を開始。

あやうく倒壊の危険にさらされた北上川左棒材木町の住家。

 六日の夕方までにわかっただけで、市内での被害は床下浸水十三件、三十九戸、町道路浸水入力所、がけ崩れ三件など、八月の水害としてはまれにみる大規模な災害となった。

 河川 水防本部の電話は鳴りっばなしで、約百件近くの苦情や救援が舞いこみ同職員は一睡もしないで、現場を駆け回った。
 五日午後七時の総雨量は一一九ミリ、以後同八時には一二七ミリ、同九時には一三七ミリ、同十時一六〇ミリ、同十一時山六二ミり六日午前十二時には一六三ミリと、夜半になって雨の勢いはおとろえ、六日朝になって雨はあがり、昼には真夏の暑さがもりかえした。
 というものの、各河川は夜半過ぎから危険水位をはるかにオーバーとくにひどかったのは簗川で、付近の灌漑用水路が決壊し簗川に流れ込み、付近一帯が濁流におおわれた。雨の強かった区域が北上山系に集中したためか、市内を流れる四つの主流河川のうち、北上川、中津川、簗川の河川がはんらんしたのが今回の特徴でもある。先月の二十七日から二十八日にかけての大雨の場合、主流河川に流れこむ水路等のはんらん程度だったのに比べ、総体的雨量がはるかに上回ったため、今回の被害につながった。

床下浸水 市内の地形上河川より上の住宅密集地が多いため、床上浸水こそ報告がなかったが、川目、北夕顔瀬、南仙北町を中心に堤防が決壊し、十三件、三十九戸の床下が水に浸かった。

道路侵水 国道一〇六号線澤田地内、同簗川郵便局付近三百メートルが濁流におおわれ、一次通行止めとなった。さらに市道根田茂砂子沢線が通行止めになったほか、南仙北一丁目道明線二百メートル、沢田橋付近、下目橋など市内八カ所が水に浸った。


河川道路護岸の決壊 北上川左岸材木町約十五メートル、たたら山農業用水路など。

田畑 川目地区で約三百平方メートルの田が濁流のため全滅。
 今回の大雨は大河川のはんらんが特徴で、道路、鉄道とも、六日までにはほぼ平常通りとなったものの、河川はダム放流もあって、しばらく高水位のまま経過した。しかし、しだいに水位は下がり、各地で復旧作業が開始した。



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