脱ダムを阻む「基本高水」  
 
さまよい続ける日本の治水計画   大熊孝   

          
 最近、「基本高水」が市民の間でも知られるようになってきた。そのきっかけは、二〇〇一年二月二〇日に田中康夫長野県知事から「脱ダム宣言」が出され、議員提案による「長野県治水・利水ダム等検討委員会」が同年六月に設けられ(私はその委員とLて参画した)、そこで「基本高水」が議論されたことにあった。この「治水・利水ダム等検討委員会」は二年間に三二回開催され、その委員会のもとに作られた九ダムの部会や小グループでの検討会、公聴会、現地調査など含めると百数十回におよぷ会合がもたれた。これらの委員会・
部会などは公開で行われ、その議事録ほ今でも長野県のホームページで見ることができる。そこで最も議論の対象になったのが「基本高水」であった。それが報道され、長野県民の間では「基本高水」が日常語になったと言われるほどであった。

 また、熊本県では、川辺川ダム問題に関連して二〇〇一年一二月に開催された「第1回川辺川ダムを考える住民討論集会」において三千人という県民を前に「基本高水」についての議論が始まり、その後この住民討論集会は九回を数えているが、毎回二千人から数百人という参加者の前で「基本高水」と森林保水力との関係に議論は及んでいる(私はこの九回の住民討論集会のうち二回に出席した)。

 長野県や熊本県のダム問題にかかわらず、千歳川放水路(北海道)、八ッ場ダム(群馬県)、苫田ダム(岡山県)、吉野川第十堰(徳島県)等々、ダム問題・治永問題のあるところでは、常に「基本高水」が議論の対象になっている。

 「基本高水」とは、治水計画で防衛対象とする洪水規模を流量の時間変化(ハイドログラフという)で表現したものである。




これは治水計画上重要な地点を基準地点と定め、そこに関して求められるが、治水計画の根本はこの防衛対象の洪水を稼働とダム群でどのように分担するかを決めることにある。河幅や堤防高は土地利用や財政、安全性、環境などから限界があるから、その稼働で流しうる流量以上の洪水を防御するには、洪水を調節するダムや遊水池、あるいは洪水を分流する放水路が必要になってくる。したがって、治水計画の基本である「基本高水」が大きければ大きいぼど、洪水を調節するダム問うが必要とされることになる。従ってダムの要不要を議論すると、必然的に「基本高水」が議論の対象になるというわけである。換言すれば、計画されているダムを中止するためには、この基本高水を引き下げない限りできないということである。

 しかし国土交通省は一旦決めた基本高水は金科玉条として引き下げることを頑なに拒んでいる。確かに、ハード的な治水対応は高ければ高いに越したことはないかもしれない。しかし、財政や環境問題、計画の実現性などを総合判断して、ハード的対応を低くして、ソフト的に対応することもありうるわけだが、それを選択させない構造になっているのである。知事が管理する二級河川や一級河川の指定区間(一級河川は大臣の管轄であるが、一部を指定して知事に管理を委任する区間)でも、補助金体制の中では国土交通省の許認可に従わざるを得ず、「技術には自治はない」といって過言でない。仮にダムを中止しても、基本高水が変わらなければ、ダムに代わる莫大な治水工事をしなければならないということである。長野の委員会はその結論として、最も議論が集中した淺川や砥川では基本高水を下げ、溢れることの可能性については、水害を軽減するさまざまな対策である超過洪水対策等を進めることを答申した。しかし、河川行政側ほそれを採用せず、高い基本高水に固執し、いまだにミニダムと呼ばれる河道内遊水地などのハード的対応を志向し続けている。「脱ダム」の理念は、道半ばであり、現実の行政の中で苦悶している。

さまよい続ける日本の治水計画

 利根川は、日本で最大の流域面積を有L、首都圏を流れる最重要な川であり、日本の国土開発のみならず、政治、経済の問題にも強い影響力を持っている。日本の「河川工学」という学問も、この利根川のあり方に大きく左右されているといって過言でない。

 利根川の治水計画における基準地点は数地点あるが、烏川が合流する伊勢崎市八斗島地点(流域面積一一〇平方`b)が最も重要であり、底の基本高水を中心に議論を進めたい。なお、基本高水はそのそのピーク流量で表現されることが通例となっており、本論でもそれに倣って表現することにする。

 利根川の現在の治水計画は一九八〇年に改定され、八斗島の基本高水のピーク流量は毎秒一万七〇〇〇立方bから毎秒二万二〇〇〇立方b(二〇〇年確率、この洪水確率年については後述する)に高められ、そのうち毎秒六〇〇〇立方b分を上流のダム群で調節し、残りの毎秒一万六〇〇〇立方bを八斗島下流の河道に流す計画になった。現在、八斗島地点より上流には洪水調節用ダムが矢木沢ダム、奈長俣ダム、藤原ダム、相俣ダム、薗原ダム、下久保ダムの六ダムあるが、このダム群による洪水調節可能量は平均的に見て合計毎秒一〇〇〇立方bである。さらに現在工事中で、本体着エが足踏み状態である八ッ場ダムができたとしても合計で毎秒一六〇〇立方b程度の調節しかできないことが、国土交通省から情報開示されでいる。残り毎秒四四〇〇立方b分の洪永調節はまったく目途が立っていない。おそらく、この洪永調節を可能にするものとして、かつて構想されていた沼田ダム(治水容量だけで約二億五〇〇〇万立方b)があるが、このダムは沼田市の市街地を水没させるもので実行不可能な計画である。いずれにせよ、現状では、利根川上流部におけるダムによる洪永調節計画は、一〇〇年たっても二〇〇年たっても完成する見通し がない状況にある。

 利根川治水計画でさらに深刻なことは、一九三五年水害の後に計画された利根川放水路(一九三九年立案、計画通水能力毎秒三〇〇〇立方b)が六五年以上たってもまったく実現の見通しがないことである。この放水路は、元来東京湾に流入していた利根川を銚子で太平洋に注ぐように付け替えたいわゆる利根川東遷事業の延長線上で足尾鉱毒問題と絡んで洪水の大半を今の利根川下流に流下させたために水害が激化し、そのことに対する補償工事として計画されたものである。この利根川放水路の計画路線上には、既に無数の住宅が存在しており、この放水路を実現することもおよそ不可能と考えられる。

 現行の利根川治水計画は、ダム計画にしろ放水路計画にしろ、現状では完成できない「幻の計画」としか言いようがないのである。換言すれば、利根川治水計画は未完のまま放置されているといっていい。

 次に、利根川流域と接して日本海側に流れ、日本最長の河川として有名な信濃川の場合を見てみよう。

 信濃川の治水上の重要な基準地点は信濃川が越後平野に流れ出す小千谷地点(流域面積九七一九平方キ`b)である。その基本高水ピーク流量は毎秒一万三五〇〇立方b(一五〇年確率、一九七四年改定計画)であり、そのうち毎秒二五〇〇立方b分を上流ダム群で調節することになっている。その調節に必要な総洪水調節容量は三億二〇〇〇万立方bであると計画されている。しかし、現在完成している大町ダム(二〇〇〇万立方b)、三国川ダム(一八〇〇万立方b)、・破間川ダム(一ニ六○万立方b)の総洪水調節容量は五二六〇万立方bに過ぎず、計画立案から三〇年たっても計画上必要な洪水調節容量は計画の約六分のーしか確保できていない。この洪水調節計画上必要なダムとして計画されていた千曲川上流ダムは二〇〇二年二月に白紙とされ、清津川ダム(総貯水量約一億七〇〇〇万立方b)は同年七月に清津川ダム専門委員会の答申により中止になっている (この専門委員会にも私は要員として参画した)。

 信濃川は新潟・長野県境から上流が千曲川であり、千曲川は長野県に属する。今後、「脱ダム宣言」の発信地でもあるこの地域に、ダムが新たに建設される可能性はほとんどないといっていいだろう。したがって、この信濃川の治永計画も、今後、一〇〇年たとうが二〇〇年たとうが、完或の目途は立っていないのである。

 なお、長野県内の淺川ダムなどの小乗模ダム群は、下流の小千谷地点の洪水調節には効果がないので、信濃川治水計画上では洪水調節ダムとして考慮されていない。

 日本を代表する利根川や信濃川の治水状況が特殊ということであるならば、ある程度納得することもできる。しかし、立案された治水計画の完成の目途が立っていない河川は、石狩川も阿賀野川も吉野川も、そして長野県で脱ダムの対象となった小河川の淺川や砥川も、日本のほとんどの川出同様のことが起こっているのである。いつ完成するか分らない計画ばかりであり、日本の治水計画、換言すれば日本の河川工学の鼎の軽重が問われているといって過言でない。治水計画を達成できないという結果から見れば、計画対象となっている「基本高水」が高すぎるということを意味している。


基本高水の決定の仕方−計算結果は唯一解ではない!
 私が基本高水の問題にかかわり始めたのは、石狩川の千歳川放水路問題からである。千歳川放水路は、石狩川の治水計画上に位置づけられたものであり(一九八二年改定計画)千歳川の洪水をを石狩川に影響させないよう、洪水時には千歳川を逆流させて、本来日本海側に流れる洪水を太平洋側に流すという巨大な計画であった。この路線にラムサール条約登録湿地のウトナイ湖があり、日本野鳥の会もこの計画には反対していた。日本野鳥の会は一九九二年五月に「千歳川放水路対策専門委員会を設立し、私もこの委員会に参画した。この委員会と北海道開発局が東京で会合を持ったことがあったが、開発局の担当者から「基本高水は河川審議会で決定されたものであり、これは石狩川の憲法である」との発言があった。この発言は、建設省以下の河川行政担当者が「基本高水は唯一解で変更不能である。」という認識であることを意味している。

 なお、千歳川放水路は一九九九年中止が決まったが、石狩川の基本高水毎秒一万八〇〇〇立方はほ更異されていない。この値が墨守される限り真の意味での「石狩川治すい」はあり得ないと考える。それは、この高い基本高水を処理するためには、千歳川放水路計画を止めた分、一層さまざまなハード対策を必要とし、膨大な費用がかかるとともに深刻な環境破壊を招くからである。千歳川放水路の代わる代替案が模索されているが、いまだ結論を得ておらず石狩川治水もさまよい続けている。

 さて、基本高水がどのように決められているかであるが、その計算マニュアルは「河川砂防技術基準(案)」に示されており、図3のような過程で求められている(この技術基準(案)は一九七六年六月に改定されたものであったが、実はこの三月三〇日まで(案)がついていた。しかし同日の河川局長通達でこの(案)を取ったことが国土交通省のホームページから知ることができる。ただ、内容の詳細は九月に出版される書物を見るしかないとのことである。おそらく、従来の計算マニュアルが大幅に改訂されることは考えにくいので、従来の計算マニュアルにしたがって議論を進める)。


 その計算過程を一二九頁に別掲するが、まずその前提となる雨量や流量の測定データには大きい誤差が含まれることを認識して欲しい。降雨量は直径二〇abの雨量計で数億倍の面積を代表するもので、大きな誤差を含むものである。流量測定も流下断面積と流速の測定が難しく、一割から二割の誤差があるといわれている。したがって、厳密な議論をしたとして、もともと唯一解になりえないものなのである。

 要は、基本高水は河川の重要度、降雨の引き伸ばし率、流出解析のパラメータ、カバー率などさまざまな選択・判断が入った結果求められるもので、もともと唯一解が得られるようなものでほない。唯一解でないものを、河川技術者が、地域住民の意見を聞くことなく最大のものを選択して、それを金科玉条としていわば押し付けているのが、今の治水計画といえるのである。

 ただ不思議なことに、松本市街地を貫流する薄川では基本高水が唯一引き下げられている。薄川では大仏ダムが二〇〇〇年の与党三党による見直し対象となり、中止されてしまったが、治水安全度は八〇年確率であり、松本という重要市街地を貫流する河川としては低い値といえる。しかし当初の計算結果は、最大値が毎秒約五七六立方bに対して第二位が毎秒約三七二立方bと計算結果に極端な開きがありすぎた。綿水は長野県治水・利水検討委員会の中で、中で、この開きは大きすぎ、計算間違いでないかということを再三指摘した。その結果、新たなデ一夕を加え、降雨量を一日雨量(毎日九時測定)から任意の二四時間雨量に変更するなどして、再計算した結果、基本高水を毎秒五八〇立方bかち毎秒四七四立方bに引き下げられることになった。他の河川では基本高水の引き下げを答申したが、それが採用されなかった。しかし、薄川においては、この再計算が尊重され、基本高水を引き下げて河川改修が実施される予定である。現在、これが日本において基本高水を下げた唯一の事例となるが、薄川でできたことが他の川でできないほずはないと考える。(なお下流の松本市街地での河道の読下能力は毎秒二五〇立方b程度であり、毎秒四七四立方bでもかなり大きな値であることには変わりない。森林保水力の増加を加味すれば、きらにその数値を下げられる可能性があるとの研究もある。)


治水安全度は選択の問題である
 日本のほとんどの河川で、「00年たっても完結しない治水計画だらけになってしまったのは、基本高水の決定に際してカバー率を一〇〇%にした結果であると考える。仮に淺川の場合でも、石狩川の場合でも中位のものを基本高水に採れば、ダムや千歳川放水路を必要とせず、現在の河道を中心としてそれ相当の治水を行い得るのである。要は、基本高水は選択の問題であり、費用対効果や実現性などを総合的に判断して採用すればよいのである。

 これを実行可能なリーズナブルな計画にするには、基本高水のピーク流量を引き下げるしかない。どこまで引き下げればいいのかは、地域住民が安全度をどこまで望んでいるか、換言すればどこまで水害を受忍するかにかかっている。当然、 安全であれば安全なほどいいであろう。しかし、それがのっぴきならない環境破壊を招き、財政的にも実行し得ないのであるならば、絵に描いた餅に過ぎない。おそらく地域住民は、十分な情報公開があれば、費用対効果や環境問題、さらには自分の人生の長さなどを考慮しながら、適切な折り合い店を見いだすに違いないと考える。

 一九九七年の河川法改正では、実施段階の「河川整備計画」(当面二〇年から三〇年の河川改修計画)には地域住民の意見を反映させるようになった(河川ごとに流域委員会などを設置し、地域住民の意見を聴取している)。しかし、基本高水やダムと河道の配分を決める「河川整備基本方針」に関しては、中央の社会資本整備審議会(実質的にはその下部の河川分科会)や県の河川審議会出、地域住民の意見を聞かずに決められることを定めている。すなわち、安全度の判断lは未だ住民の手にはないのである。しかし、近年の住民の意向は、各地の流域委員会八京議会、住民討論などでの議論に象徴されるように、既に河川整備基本方針まで決めることを要求していると言っていい。


ハード的安全度の低下をどう保障するのか?
 基本高水を下げ、実行可能なリーズナプルな計画とした場合、当然、洪水が堤防を溢れる可能性は高くなり、ハード的対策の安全度が低くなるのは避けられない。その場合、その低下をどのように保障するかが問題である。

 日本のほとんどの河川において現状の治水段階であれば、堤防を超えて溢れる洪水は人の一生のうち一、二度でないかと考える。堤防は「土」で出来ているため、越流すると浸食で破堤しやすい。破堤すれば、・大量の洪水が溢れ被害が深刻になる。しかL、、たとえ越流したとしても破堤さえしなければ、日本の洪水ピーク時間ほ短く、越流量には限界があり、被害は小さくてすむのであり、堤防を破壊させないことが肝要なのである。すなわち、日本における治水の眼目は、「すでにある程度高くなっている提防を、洪水が越流しても破提しない提防に造りかえることにある」と言って過言でない。私はかつて、堤防強化法として薬剤を注入して強化する方法を提案したことがあるが、現在ではもっと優れた堤防強化法がいくつも存在するのである。

 提防の強化が行われれば、完成に程遠い現在の治水計画も何とか完結することができる。実は、現在の提防は、計画洪水を流す計画高水位以上に余裕高が採られている。この余裕高は、土堤防が越流に弱いので、越流させないように、洪水時の風浪、うねり、跳水等による一時的な水位上昇、さらに洪水時の巡視や水防を実施する場合の安全の確保、流木等の流下物への対応などさまぎまの要素を考慮して計画高水水位に加算すべき高さとして規定されたもので、ある。この余裕高の考え方からすれば、越流しても破壊しない浸防ができたなら、洪水を余裕高に食い込んで流すことも可能である。そうすれば、ダム群で調節予定の流量分ぐらいは現在の堤防の高さで流すことが可能なのである。

 信濃川の場合、余裕高は二bである。仮に、堤防が強化できたとして、余裕高まで食い込んでダム群調節分毎秒二五〇〇立方bを流すとしたら、今の計画高水より六〇〜七〇abぐらい水位が上昇するだけである。おそらく提防天端まで流すとしたら、毎秒二万立方bに達する流量を流すことも可能であろう。要は、提防を強化し余裕高まで洪水を流せれば、現在計画している基本高水流量よりかなり大きな洪水まで対応でき、日本のほとんどの川の治水計画は完結するのである。

 むろん、越流以外の破堤もありうるので、洪水がが直撃する河道の屈曲部や透水性の高い地盤等では、適切な護岸や水制、遮水壁等を設置する必要がある。また、破壊しなくとも内水や越流した水によって、床下浸水や床上浸水することもある。そうした場合は、一生のうち一,二度の床下浸水程度は受認してもらうとして、床上浸水は被害が大きくなるので、床上浸水対策が必要になる。その対策は家を高床式にすればいいのであり、補助金を支給すれば、今の家の建て替え年限は三〇年程度であるので、比較的短期間に完結可能である。現状のダム建設が計画から完成まで何十年も費やしていることから見れば、十分許容できる年限でないかと考える。(雪国では固定資産税の減免で多くの家が既に高床式になっている。)

 今必要なことは、中央集権化されている治水安全度の決定を、地域住民の選択に委ねることであり、それを可能とする法的整備を急ぐことにあると考えている。

 最後に、丁度この原稿を執筆中の七月一三日に新潟で信濃川の右支川・刈谷田川と五十嵐川で大きな水害が発生したので、一言触れておきたい。両河川の上流域を中心として二四時間で四〇〇_bを超える豪雨があり、両河川とも計画規模を超える洪水で余裕高まで食い込んでほぼ満杯で、河道がカープしている所では午前一○時ごろから提防を越えて越流が始まっていた。しかし、大きな水害の原因となった破堤地点ほ、五十嵐川ではカ−ブの内側の諏訪地点(一三時過ぎ頃破堤)、刈谷田川では妙栄寺(一六〇二年創設)という寺に接した中之島地点(一三時少し前頃破堤)で、両者とも他の越流していたところと比較Lて相対的に安全と考えられるところであった。両者とも水防活動の痕跡がほとんど見られず、一気に破堤した。比較約安全と思われるところがなぜ破壊したのか、その原因ほ調査中であるが、破壊によって洪水が急激な勢いであふれ、壊滅的被害をもたらすとともに、避難の時間的余裕すらなかったということで、特に高齢者に多数の水支社を出した(死者一五人中七〇歳以上が一二人)。この水害を振り返ると、やはり越流だけなら大した被害にならず、破提さえ起こさせなければ良いということである。

 「治水の王道」は提防強化にある。そして、その費用はダム建設費と比較して十分安いことを宣旨ておきたい。



 おおくま・たかし 新潟大学教授。専攻河川工学、土木史。一九四二年生まれ。
 東京大学工学部土木工学科卒。著書に『利根川治水の変遷と水害』『洪水と治水の河川史』『川がつくった川・人がつくった川』『技術にも自治がある−治水技術の伝統と近代』ほか




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